LIFE

人を信じることと期待の違い

私の最近のテーマでした。

愛のある投資家から学ぶ中で「いきなり信頼は難しいかもしれないけど信用してみたら?」と言われたことがありました。

私は、信用と信頼の違いもわからないし頭の中がはてなマークだらけになっていました。

本当にわからなかったので、自分で信用と信頼について考えていたところ、仲良くさせてもらっているAさんと話していて初めて「”信頼”ってこういうことなんだ」と気づきがありました。

私の未来を私よりも信じてくれている、そして私をコントロールしようとか、そういうエゴが一切なく「私ならできる」とピュアで力強い信頼ってこの世にあるんだと気づきました。

その日、私は”信頼”してもらったことが嬉しくて大号泣でした。

今までも私のことを信頼してくれていた人がいたかもしれない、でも私はそれに気づくことができていなかったのかもしれません。

「人を信じる」すごく求めていたけど、同時に怖いとも思っている自分がいました。

人に期待をしたらそうならなかったときにがっかりする、そうなるくらいなら期待しないようにしようと、自己防衛のために期待をしないように生きてきました。

人を信じたとして「裏切られたらいやだ」「信じたら期待も大きくなって関係が悪化するかもしれない」無意識でこのように考えていて、人と一線を引いた付き合いをするようにしていました。

でも、心の奥底では「人を信じたいし、信じてほしい、深い関係を築きたい」という思いが奥底に埋まっていました。

そこをこじ開けられたのがAさんと話していて、初めて”信頼”がわかった瞬間でした。

そもそも信用と信頼の前に、人を信じるということをしてこなかったからわからなかったということです。

ここまでが昨日です。

昨日の夜に「ユダヤ人大富豪の教え」という有名な本を書かれた本田健さんに質問できる機会がありました。

そこで「人を信じることと期待することの違い」について質問をさせていただきました。

今までがっかりすることが多かったから人に期待しないようになっている
でも「あなたに期待していません」って言われたらいやでしょ?
だから期待しないようにしているけど、心の奥底では「愛してほしい」がのたうち回っている
そういう人って、パートナー関係も希薄な人が多い
今年は、期待を手放せますか?
私:期待しないようにしているんですけど…
それは”期待しない”をしているだけ、”手放す”ことが必要。
手放すためには、期待してがっかりした経験があるからそれを癒すことが必要。
どうすれば人を信じられるようになるかっていうのは、長くなってしまうからこの時間じゃ話せないけど、ひとつワークを
お伝えします。
今までにがっかりした経験を振り返って探してみてください。

もっと詳しくお答えいただいていますが、覚えている範囲の内容をまとめました。

期待しないようにはしていても、期待を”手放す”という概念がなかったので本当に勉強になりました。

言われた通り、私が期待してがっかりした経験を振り返っていたところ、原因がいくつか見えてきました。

コツコツ続けてきたことが一瞬にしてなくなるような、今までの努力が”無”になるような経験が何度かあり、物でも人でもいつか無くなるのではないかという恐怖が見えてきました。

なるべく大切なことを増やさないようにすることで、無くなるという恐怖を減らそうとしていた自分が見えてきました。

・努力しても達成できなかったら怖いから目標設定が苦手
・親密な関係になったら期待が大きくなっていつか関係が壊れそうだから、本当に大切な人こそある程度距離感を保ちたい

このような自分がいたことに気が付きました。

そんな中、私のなかに湧き出てきた言葉が「それでも私はあなたを愛する」です。

あなたは誰のことかわからないし、もしかしたら私のことかもしれません。

あなたが何をしようとも、私は最大限の愛とリスペクトをもって接する、そうなれたらと思っていました。

「相手は関係ない、自分が世界とどう接するか」この答えを探っています。

期待と信じることの違いを自分なりに考えてでた結果は、エゴがあるかどうかです。

期待は「こうなってほしい」「こうしてほしい」など相手をコントロールしたいというエゴが見え隠れしています。

信じるはエゴによるコントロールしたいがなく、ただ相手を信じること。

結果どうなったとしても受け入れる覚悟が見え隠れするイメージです。

なんとなくですが、自分にどんな出来事が起ころうとも受け入れる覚悟をしたからこそ、今は相手になにが起ころうと、なにをしたとしても受け入れる覚悟をする段階にきているのかなという気がしました。