先日、町に住んでいる主さん(町内にある施設の施設長)と話していたときに『この町で育った人が外に出たときに、人間関係にびっくりして戻ってくる人もたくさんいるらしいよ』との話を聞きました。
私が話した人のなかで、このような人がいたわけではないのですが、そうなるだろうなと思うことがあったのでまとめていきたいと思います。
町の中で育つと、必然的に関わる人の数が少なってしまうため、考え方の幅が狭い人が多いと思うことがありました。
主さんにこの話をしたら『気づいてしまったか』と言われました。
出会う人や関わる人の数が少ないと、違う考えの人と話すことや違うタイプの人と話す機会が少なくなります。
出会う人が多ければ、いろいろな性格や考え方、育ちの人に出会うことになり、多くの人の背景が想像できるようになります。
例えば、Aさんと接したとき、話しかけても素っ気ない態度で少し苦手意識があったとします。
徐々にAさんのことを知ると、素っ気ない態度はわざとではなく本人に自覚がなかった、『素っ気ない態度だったので怖かったです』と伝えたところ『そうだったんだ、ごめんね』と逆に謝られ、苦手意識意識がなくなりました。
このような人間関係の出来事があると、素っ気ない人と出会っても『この人ももしかしたら悪気がないのかもしれない』と想像できるようになってきます。
これを繰り返すことで様々なタイプの人と円滑な関係を気付けるようになってくるのではないでしょうか。
田舎で育つと、人が少なく接する人のタイプも少なくなってしまうため、外に出て接する人のタイプが一気に増えてしまうことが、『人間関係にびっくりする』という言葉の中身ではないかなと想像しました。
人に対してネガティブなイメージを抱くときはたいてい、『この人は自分にマイナスな影響を及ぼすのではないか』いう気持ちが根底にあるかと思います。
がさつな人であれば自分も傷つけられるのではないか、目的がわからず近付いてきた人は騙してくるのではないか、うるさい人は一緒にいて疲れるのではないか。
関わった人のタイプが多ければ多いほど、『がさつに見えるけど実は優しい人かもしれない』『この人は一見賑やかに見えるけど実は家で静かなタイプかもしれない』『一見優しそうだけど目が笑っていないから一線を引いて接しよう』などその人の背景を想像しながら対応することが可能になります。
コツコツと様々なタイプの人と接してきた人は、これらの経験は徐々に積み重ねられますが、狭いコミュニティから外に出ると、一気にいろいろなタイプの人と出会うため相手の背景の想像が難しい、よって対応も難しいのかなと想像しました。
田舎で育った人の人付き合いについて考えてみました。
あくまで私の想像でしかないので、当てはまる人もそうでない人もいるだろうし、違う意見もあるかと思います。
人付き合いについて、田舎で育った人の意見や移住して感じたことなどあったら教えて下さい!