もやもやをまとめたいと思います。
職場で懇親会をしようという話がでていました。
コロナもあるし、4月から新しく移住してきた人がいたので、その人の不安を払拭するためにも、早めに開催しようという話がありました。
私は、その話があった翌々日には東京に帰るための長期休みに入ってしまい、懇親会がどうなったのか全くわかりませんでした。
LINEでの日程確認の連絡もなく、職場のメールはPCがないと確認できないので、休み中は知る手立てがない状況でした。
休み明け、メールを確認すると懇親会の呼びかけのメールが入っており、私がメールを確認したときには出欠の締め切りも過ぎていました。
私も『勝手に決まってんだ…』と思いつつ気にしないようにしていましたが、今日懇親会の当日です(笑)
いまだになにも確認はなく、私からも確認はしていません。
ここで、私のいつものパターンです。
『休み中だけど日程確認くらいLINEで連絡いれてもいいのでは?』
『結局、人数カウントされているのかわからないしなんなんだこいつ』
というアタッカーマスクの登場です(笑)
客観的にみて、気になるなら自分から確認すれば?(笑)と思います。
ここで素直に確認できないのは『いてもいなくてもどっちでもいい』という扱いをされたことを認めたくないからです。
だから、反射的に怒って他人のせいにすることで自己防衛をしているんだと思います。
特に、私の場合は自己承認ができず他人からの承認に頼っていたので、自分を『いてもいなくてもどっちでもいい』のようにぞんざいな扱いを受けるとダイレクトに受け取ってしまい、受け流すことができませんでした。
でも、それを認めたくないから自分のせいではなく相手の不手際に問題があるとすることで、無意識に自己防衛していました。
やっぱり癖で反射的にイラッとしていましたが、ここまでまとめるとだいぶすっきりします。
無意識の自己防衛、怒りの理由を認識することの大切さをリアルタイムで実感しております。
現状は認識できた、そうしたらその次はどうするか。
もし、私が自尊心に満ち溢れていて、他人からどう思われようと気にしないとしたらどう対応するかを想像します。
その結果、さっさと『今日の懇親会私も人数にカウントされているんですか?』と聞くかなと思ったので、あとで聞いてきます。
それでも少し恐怖心があるのは『来なくていいよ』って言われる、必要とされていないことを目の前に突き付けられる可能性があることです。
強がりでなく『来なくていいよ』って言われても本気で『どうでもいい』と思える自尊心を身に着けようと思いました。
もやもやっとしていた気持ちも、ここまで掘り下げて書くとだいぶすっきりしてきます。
まずは、ここまで掘り下げて自分の内面を見つめた、そしてちゃんと向き合った自分を褒めてあげようと思います。