OPINION

『努力』という言葉に違和感がある理由

ブログを書いていて、時々登場する『努力』という言葉。

どこか違和感があると思いながらも、まあいっかと思いそのままにしていました。

今日、努力の違和感の理由がわかったのでまとめたいと思います。

気付くきっかけになったのは、この内容でした。

努力は成功する上で大前提。

成功者に話を聞いたときに『当たり前のことをやっていただけです』という答えを聞いたことがあるけど、具体的に話を聞くと当たり前が当たり前じゃなかった、とんでもなく努力していた。

ヨガを続けていることやブログを書いていることを努力といえば努力だけど、あまり努力しているとは思っていません。

ここら辺の感覚が気持ち悪かったんだとわかりました。

文章として書いてまとめるときに、客観的に見ると努力っぽいと思ったので努力していると書くことがありますが、感覚的には最低限やると決めていることをやっているだけで努力といえば努力かなという気持ちです。

努力っていうとすごく頑張っていることのような感じがするから、なんか違和感あるけど…という気持ち悪さがありました。

私の感覚ですが、実現したことがあっていつまでに何を実現するか決めたらやるべきことが見えてくる、それを淡々とやっていくだけなのかなと思います。

自分がこれを実現したいんだと思うから、挑戦しているのであって、誰かに強制されるわけでもないし、自分がやりたいからやっている、これを努力というのか?まあ努力といえば努力か…という感じです。

努力というと無理やり頑張っているというイメージがありました。

努力といえば努力だけどやりたくてやっているだけですということでした。