ちょうど1年前の6/28に初めて今いる地域に降り立ちました。
1年でどのように変化したかな、どのように感覚が変わったのかなと思いながら読み返していました。
読み返していて、一番の驚きはこうなるだろうな、こうなったらなと思っていたことが2つ叶っていることです。
これは読み返していて鳥肌が立ちました。
いずれお酒やめるということやパソコンひとつで稼ぐ手段を見つけること、ブログに書いていたことが実際に叶っていて、『将来こうなる』というところからの逆算で成り立っているんだなと感じました。
願っていることが叶うペースが速いことにも驚きました。
お酒については2022年にやめられるとは思っておらず、2023年にやめられたらいいなと思っていました。
パソコンがあれば稼げる手段を見つけるということも、特にいつまでにということは考えていなかったし、あったらいいなくらいの感覚でしたが、そういう投稿をした2か月後、3カ月後に見つけていました。
過去の記事を読み返して驚いたことは、自分で事業を始める前から目的をはっきりさせること、ゴールを明確にすることの大切さについて書いていて、『私やるじゃん!』と自画自賛しておりました。


(今の本人はブログを見返すまで書いたことも忘れていました。)
最近はよく将来やりたいことを書き出したり、将来像を明確にリアリティをもってイメージするようにしていますが、ゴール設定は過去の記事と今とでは違いました。
なぜ、違うのか。
思い込みが外れたからです。
将来の理想を考えることは自由だったとしても、過去の経験から『ここまではできそうだけど、これは無理そう…』と無意識に制限を作っていました。
最近になって、自由に稼いで自由に生きていいんだと思うことができ、本当にやりたいことを自由に考えられるようになりました。
私はなぜか子どもの頃からドラえもんのタイムマシンを見たことをきっかけに、『人間が想像できるものは実現できるのではないか、本当に実現できないことは想像できないことなんじゃないか』と考えていました。
話は逸れますが、子どもの頃の私は、時間について考えていたり(今ってなに、瞬間って何を指す?)、自分に見えている色と他人が見えている色って違うかもしれない(私の見ている青色は他の人は緑色に見えているかも)と思ったり、おいしいってなんでおいしいのか(おいしいとまずい、何が違うの?)とか、目をつぶったら何が見えるんだろう(真っ暗?模様が見えるけどこれなに?)とか、みんなが思う常識や普段考えないことに疑問を持つことが多かったように思います。
『人間が想像できるものは実現できるのではないか、本当に実現できないことは想像できないことなんじゃないか』ということが真実だとしたら、自分の人生の理想を想像できなければ、誰かが自分の人生の理想を想像してくれることもないので、一生理想を実現できずに終わってしまいます。
改めて、本当に自分はどうしたいのか、何をしたら感情の満足を得られるのか、本気で考えて想像することの大切さについて考えました。
ブログを読み返すとき移住したときの精神状態が気になっていて、まだまだ物事を悲観的にとらえていたり、きついこと書いていたりするかなと思いましたが、そういうところもあるけど当時からそう感じる自分に原因があるということをわかっていたし忘れていなかったので、自分の感情を認めてその上でどうしたらいいのか模索している様子が伝わってきて、少しずつ努力を積み重ねているんだなと思いました。
『私って頑張っているんだな…』としみじみと思い、日々の小さな変化や感じたことの積み重ねみたいなところを残していてよかったです。
全部読み返してはいませんが、気になった記事だけ読んで『私こんなこと書いたっけ?』と疑問に思うこともあるくらい、忘れていたこともたくさんありました。
自己満足ですが、ブログを書いていてよかったです。