OPINION

幼い頃の同調圧力『人と違う私っておかしいのかな…』

先日、サバさん(職場の方、サバサバしてるけどとても優しくて親切なお母さん)と話していたときに、とても印象に残った話がありました。

自分の夢を叶えるために、強い意志を持って移住してきた方がいます。(夢さんとします)

夢さんは家にこだわりがあり、家を自分でつくろうと日々作業しています。

夢を叶えるために適した場所をずっと探しており、たどり着いた場所が僻地でした。

とても強い意志を持って移住を決め、夢を叶えるために少しずつでも着実に実現に向かっています。

そんなサバさんが夢さんと出会って感じたことを話してくれました。

私すごく変わってて、みんながスニーカーが好きだった頃に革靴が好き、みんながミュージシャンを好きだった頃に俳優が好きみたいに、みんなと違う物を好きになることが多かったんだよね。

『みんなと違う私はおかしいのかな…』と悩んでいたこともあって。

都会だと違うかもしれないけど、特に田舎だから人も少ないし。

でも夢さんに出会ってから、『みんなと違うことがあってもいいんだな』と思えるようになったんだよね。

みんなと同じじゃないとだめだと思っていたから、悩んでいたことも忘れかけてたんだけど、夢さんを見ていて人と違ってもいいんだなって思って、昔に悩んでいたことを思い出したの。

という話をサバさんから聞きました。

私は、東京で育ちましたが同じように『友達の好きなものに合わせなきゃ』と思い幼稚園、小学生くらいまでは過ごしていました。

中学生くらいからみんな同じものが好きというよりかは、興味の対象がバラけはじめた気がします。

そのあたりから自我が芽生え始め、周りに合わせていた反動もあったのか、メタルやラウドロックが好きというところまで行きました。

都会でも幼い頃の同調圧力はあります。

その頃はクラスの子と関わることが多く、やはり狭いコミュニティになってしまいがちです。

ここは都会も田舎も変わらないのかなと思いす。

しかし、中学生や高校生にもなれば都会では、学校以外のコミュニティにも属したり、同じようなマイノリティなものが好きな人同士で集まっていたりと、別のコミュニティが近いため自分を殺さなくてもすむコミュニティに属することができるようになります。

田舎ではマイノリティが集まる場所が少ないように思います。

今はネット環境の発達で、自分の趣味をさらけ出して共感する人同士で集まれるようにもなりましたが、ネットがなければ自分を殺して同調して生きる人が多いのではないでしょうか。

同調圧力に屈せず自分を主張する人もいるかと思いますが、おそらく少数派ですよね。

私も他人に合わせながら、自分のことがわからない時期があったなということを思い出しました。

今でも自分のことをわかっていませんが、周囲が好きだと言っていたものが好きといったようなことは、ほぼなくなりました。

サバさんとも話していたことは、『人に合わせてばかりいると、自分が本当になにを好きだったのか忘れるよね』ということです。

サバさんは夢さんに会って幼い頃の自分が他人に合わせていたことを思い出した、私も外のコミュニティに出入りすることで自分の感情を他人に合わせなくてもいいことを学びました。

人に合わせてばかりいると、他人が好きなものが私も好きなものなんだと思い込んでしまう、そして思い込んでいるという自覚もなくなってしまうことは、とても辛いことだなと思いました。

自分を押し殺して、だんだん押し殺すことが当たり前になる、押し殺すことに何も感じなくなり感覚が麻痺する、それにも関わらず就職活動で自分が何をしたいのかや将来を伝えないといけなくなる、とても辛いですよね。

ひとりひとりのやりたいことができる環境、好きを好きと言える環境、個性を認められるような世の中になったらいいなと思いました。