『ポジティブになろう』
『ネガティブに考えるのはやめた方がいい』
ポジティブは良くて、ネガティブは悪い。
私もそう思っていたし、ポジティブな方がいいことに間違いはないと今の私も思います。
悪者にされがちなネガティブをどう捉えたらいいのか、私なりの整理をまとめます。
私はネガティブな考えが多かったように思います。
ブログを書いているくらい頭でいろいろなことをよく考えることが多く、ひとつの出来事に対してもいろいろな可能性や選択肢を考えます。
いろいろな可能性を考えるうえで、最悪な状況からこうなったらいいのにということまで考えますが、ネガティブでいた方が楽でした。
最悪の状況を想定していれば、結果あまりよくない方向に転がったとしても、『最悪よりはよかったね』で落ち着きますが、楽観的に考えていたのによくない結果になった場合は『想定より悪い…』と気分が悪くなります。
自分を守るためにより悪い想定、ネガティブに考えていたように思います。
ですが、悪い想定と言っても、生死に関わる問題ではありません。
本来、人間のネガティブは『明日死ぬかもしれない』という時代において、どうしたら生き延びられるのか可能性を模索するためにありました。
自分や自分の家族を守るために、生き延びるために、最悪な状況を想定することで生き延びる可能性を少しでも増やす、そのためにネガティブを使っていました。
現代の日本においては、ネガティブを使って生き延びることが必要かと言うとそんなことはありません。
せいぜい仕事で失敗した、あの人に嫌われた、など今日明日の生死に関わるような問題を抱える人は少ないと思います。
ネガティブに考える必要がないことにまでネガティブになっている人がほとんどで、社会や教育で植え付けられた概念に当てはまらないことに苦しんでいる人が多く、私自身もそうでした。
生死に関わる問題ではないとはいえ、『仕事できなくなったら生活できない』『人に必要とされない自分は生きている価値がない』と思っていたら、肉体の生死に関わらないとはいえ、精神的には生き延びるためにネガティブを使って生き延びている原始人と同じような状況です。
教育や社会の常識といった思い込みによって、必要以上にネガティブになっているということです。
ですが、思い込んでいる当人にとっては生きるか死ぬかの問題に感じているからこそ、その状況から必死に生き延びるためにネガティブを使っているのであって、使いたくて使っているというよりかは必死に生き延びるために使っているという状況だという整理が私自身はできました。
ネガティブは悪者ではない、必死に生き延びよう(←思い込みだけど)とするために頑張っていただけということです。
こういう整理ができたとき、『ネガティブをなくさないといけない』という気持ちから『ネガティブを使わないといけなかったんだな、頑張っていた結果だったんだな』という気持ちになりました。
ネガティブとの闘いから、客観的にネガティブを見ることができるようになった感じです。
ネガティブになると『ネガティブがでてきた、よくない、どうしよう』と思っていたところから、『このネガティブは私に何を気付かせようとしているんだろう、私にはどんないらない思い込みがあるのかな』とレーダーのような扱いになりました。
知識として『ネガティブとは戦わないこと、第三者のような目線で見る』ということは知っていて実践しているつもりでしたが、やっと体感を伴った知識になった気がします。
ここでタイトルに戻りますが、『陰と陽』『プラスとマイナス』があるように人の心にもポジティブがあればネガティブもあります。
ネガティブを見ようとせず、ネガティブをなくそうと思って戦っても消えずに心の奥深くに残ったままになります。
一見なくなったような気がしても、土の中に根っこがあるように心には残り続けます。
ネガティブをなくそうと戦うのではなく、『私を守るために頑張ってくれているんだな』という思いをもって向き合うことが本当の意味でネガティブをなくすことにつながるのではという気付きがありました。