大人の部活

『わかりません』と伝える勇気と誠実さ

日本の経済を動かしてきたような方のお話しです。

講演の質疑応答のとき、とある質問に対しての答えがとても印象的でした。

『それについてはやったことがないのでお答えできません。
やったことないことについて話しても責任持てませんので。』

ビジネスに関する質問だったこともあり、それっぽく答えることもできたと思います。

それっぽい回答だっとしても、見てきたものや経験が違うのでとてもためになる話だったと思います。

知ったかぶりをしてしまった、よくわかってないけどわかっている振りをしてしまった、なんとなくで答えてしまった、という経験は誰もがあると思います。

特に、最近は人からの目や承認欲求について思うことがあったので、答えられませんの回答からの気付きがあったし考えさせられました。

リアルタイムで500名の人が見ている中、アーカイブも含めたらとんでもない人数が見ることになるであろう中、正直に『答えられません』と言ったのは自分の見栄などを外して視聴者と誠実に向き合っているんだと感じました。

私が知ったかぶりして適当に答えたときは、『こんなこともわからないのかと思われたくない』『ちゃんとしている自分でいたい』という感情があったと思います。

一時的に承認欲求が満たされその場を取り繕えたとしても、相手の立場で考えると相手のためにはなっていません。

相手は、私が知らないと思い親切で聞いてくれたのかもしれない、知らなかったことを教えてほしかったのかもしれない。

それに対して知ったかぶりをした私は、相手の親切心を無下にしてしまったかもしれないし私の適当な話を信じて他で話したら指摘されてしまったかもしれない。

咄嗟にしてしまうことであったり、一時的には取り繕えることが多かったりすることから、忘れてしまったり、ここまで考えることもありませんでした。

自分がやったことがないことについて正直に『答えられません』と伝えることが、相手に対しての誠実さであり、本当の強さであり、人としての器であるということを考えさせられたエピソードでした。